三枝三七子の
議員活動
池田町を走り回り、気がついたら東京から九州まで。
走り回りながら発信していきます。
20240804 IN交流センターかえでにおいて
女性差別撤廃条約
選択議定書についての勉強会
瀧 章次氏を迎えて
急遽開くことにした勉強会でしたが、
会場参加者9名、
リモート(都内・県内)参加者6名で
開きました。
瀧先生は非常に論理的な思考に長けておられる方で、こんがらがった問題もひとつづつ解きほぐして下さいました。
つまり、この女性差別撤廃条約がいつから、日本は他国との条約に盛り込まれてきたのか?
1)なぜ選択議定書が必要なのか?
2)選択議定書とは何なのか?
3)日本ではなぜこの議定書が批准されていないのか?
また三枝からは現状、見てきたこと、どのような差別的なことが日常当たり前に、なっているのかなどをお話しました。
2時間に及ぶ時間でしたが、あっという間に終わったという感が否めません。
次は、瀧先生に「民主主義とはなにか」を期待したいと
三枝は勝手に妄想しています。
なぜなら、「話し合うだけが民主主義ではない」という言葉を、対話の中で瀧先生から発言があり、一同がお~~~っと驚きの息をしていましたから。
私たちは、基本的に知らないことが多すぎると、改めて思わされた時間でした。
・わんぱく広場 …月に1~2回の活動(ママたちの自主サークル)
・図書館…お話会の情報
・健康福祉課…乳児検診などなど
・やすらぎの郷 開放日
・池田町の保育園 園庭開放日
・池田町小学校 参観日・運動会・音楽会など
・安曇養護学校の見学日
・会染児童センターのスケジュールなど。
思いつく限りの、この町で子どもと出かけてみたい、
顔を出したらより、良いことにつながるのではないか?ということを
拾い集めてみました。
もっとこうしたらいい!というものがありましたら、
お声がけください。
2024/05/31
地方自治法一部改正について
第33次地方制度調査会の提出した
地方自治法の一部を改正する法律案の概要https://www.soumu.go.jp/main_content/000931798.pdf
第33次地方制度調査会の答申内容:コロナ禍などにおいて個別法で対応できなかったと書いてあることに注意。これを検証することを国はしていません。
https://www.soumu.go.jp/main_content/000917644.pdf
私がこの地方自治法改正について詳しく知るきっかけとなったのは、中野区の区民の声の勉強会でした。この会は、専門の先生もおられ、法律だけでなく財政についても、考え方や、解釈の仕方を教えて下さる市民の活動です。
中野区に短い間ですが住んでいた時に仲間に入れて頂きました。
そこに久しぶりに行きました先々月、参加し驚いたわけです。新聞やネットではうっすらと?と思うことがあり、詳しく調べなければいけないと思っていました。
問題は、3つ。
1. 内閣閣議で「緊急事態」と決定されると地方自治に対して国が指示権を持つということ。
2.内容の解釈の仕方によっては形を変えた「緊急事態法」とも読み取れること。
3.地方公務員の派遣についても国が要請ではなく指示をだし、義務化されてしまうということです。
これは、災害地への派遣だけだろうと思われるかもしれませんが、非常に曖昧でそのどこへ?ということが明確にされていません。日本は2015年の集団的自衛権について米軍の後方支援をすることになってしまっています。そして地方公務員としては警察官、消防隊員などの方々、役場職員の皆さんも勿論入ります。
そうした、平和の中で職業を選んだ人たちに「地方公民だから有事の際には派遣する」ということも想像できるような法改正を許すわけにはいかないと考えました。
2024/03/30 映画会上映
武蔵野政治塾in池田町 第1回目 映画太陽の蓋 上映会+フリートーク
本当にたくさんの皆さんにおいでいただきました。
3週間前に新聞折込を大町市、池田町に行いました。
それでも、2週間前の参加のお申し込み者数は20名に満たない状態でした。
あぁ~もう‼辞めた方がいいのではないのか?と思いつつ
最後の1週間に全力投球!!
大糸タイムスさん、信濃毎日さん、そして池田町の有線放送!
本当にギリギリか?前日も20数名という状態から変わらずした。
ところが蓋を開けてビックリ!
当日、会場で1時間前から準備を始めたところ…30名くらいでいいよね?と
椅子を並べているとなんと!なんと!
1時半すぎる前からつぎからつぎへと、参加者が現れたのでした。
大ビックリしました。感動しながら急いで不足する椅子を並べながら、
受付の支度、お手伝いをお願いした友人知人も集まってきてくれて。
ドタバタのスタートでした。
始まると…私の身の上で起こった13年前の3月11日のことが思い出され、辛い気持ちになってきてしまいました。そのころはまだ、小谷村にいたときです。言われた通りに音楽ホールを掃除しているとぐらぐらとかなり長い時間揺れ、そしてその後、携帯には津波警報が届き、驚きながらロビーの大画面を見に行くと、この国で起こっていることとは思えない映像が映し出されていたのでした。「どうなるんだろう」「どれだけの人が被害を受けるのか」「日本は大丈夫なのか」様々な思いが、頭の中を駆け巡りました。恐ろしくて正視できないという状態でした。
そんなことを思い出しながら、翌日の外国人労働者であるスタッフの下には彼らの国の大使館から「日本から出国するように」というメールが届き、そして福島第一原発の水蒸気爆発。
思い出しても足元が冷たくなります。